2014-06-03 第186回国会 参議院 法務委員会 第20号
自由学園をつくられた羽仁説子さんが幼児教育論集という中で、子供たちがとにかく小さい頃、小学生も含めてだけれども、いろんな悪いことをやってしまう、そのときに大人が外から駄目だと例えばたたいたり、いろんな教育の仕方はあると思うんだけれども、それじゃ駄目なんだと。
自由学園をつくられた羽仁説子さんが幼児教育論集という中で、子供たちがとにかく小さい頃、小学生も含めてだけれども、いろんな悪いことをやってしまう、そのときに大人が外から駄目だと例えばたたいたり、いろんな教育の仕方はあると思うんだけれども、それじゃ駄目なんだと。
我々矯正職員の誇りをかけて、戦後の時代ですから、ちょうど羽仁五郎さんが参議院法務委員だったときに、札幌拘置所に行ったら直訴を受けた。羽仁先生、死刑だけは何とか変えてくださいと。拘置所の職員が運動の主体なんですね。我々は矯正のために誇りを持ってやっている。つまり、矯正の結果死刑というのは何とか変えられないのかというのが半世紀前の議論でした。
他方で、後に参議院議員になられた羽仁五郎氏は、内容的に一点の瑕疵、誤りはなくても、専制君主の命令で国民に強制をしたというところで間違いがあったと。
(拍手) 私は、国会議事堂にほど近い公立中学に通っていた当時、羽仁五郎氏の「都市の論理」に感銘を受けて、政治的、社会的な関心を抱きました。一九七二年、中学校卒業時に作成された私の内申書は、政治活動、学校批判の活動状況を詳細に記した内容だったことから、思想、信条の自由を保障する日本国憲法に反していると原告として内申書裁判を提訴、子供の学習権を問うて最高裁判所まで十六年間争った経験がございます。
ちなみに、図書館法制定当時の参議院側の図書館運営委員長であった羽仁五郎先生がかつて著作の中で、インタビューに答えるような形での著作の中で、図書館長は、三権分立で立法権と司法権と行政権と三権が争って結末が付かない場合に館長はそれについて意見を述べるというような機能を考えていたんだということをインタビューで答えておりますけれども、そういう規定は図書館法には最終的に盛られていない、制度化されていないと、こういうことでございます
国立国会図書館ができたときに図書運営委員長をしておられました議員の羽仁五郎先生がその後お書きになった資料があるんですが、これを拝見いたしますと、国立国会図書館というのは、それまで日本では政治経済の資料を官僚が全部握っていたと、これを人民の代表である国会議員の手に渡すための図書館をつくらなくてはいけないというようなことだったようであります。 そして、国会図書館の館長は大臣と同じ待遇にした。
実は私の地元の方でいろいろ応援してくださる方たちの中で、「友の会」ということで、もうそれこそ戦前から羽仁もと子さんが一生懸命取り組んできたこういった活動が、地域で細々と実は伝えられて、そしてまた、子供の教育の問題について、お母さんたちが悩みを相談したり、あるいはまたみんなで支え合っていこうということで取り組んでいる。
それから、先ほど言いましたように、責任をとるということをしませんで、私どもも今でも覚えておるのですけれども、「都市の論理」という本を書いた羽仁五郎さんという方がいらっしゃった。あれは我々学生時代には何かいわゆる進歩的文化人の元祖みたいな人ですよ、教祖さんみたいな人ですよ。この人が、言論の責任をとることになってくれば言論の自由なんてものは保証できないというようなことを言っているのですね。
まず、一九五六年にこの参議院法務委員会で、当時の高田なほ子委員長自身が加わって、羽仁五郎さん、市川房枝さんというような方々が提案者になって死刑制度廃止の法案を議員立法で出していらしゃいます。そして、この委員会で極めて真剣な議論が行われ、二日間にわたって公聴会も行われたということを聞いております。
それはともかくとして、実はこの参議院法務委員会というのは大変この問題については一つの歴史を持っているようでありまして、私も新聞記者でそのことを承知しているんですが、昭和三十一年、一九五六年にこの参議院法務委員会で、当時の高田なほ子委員長自身が加わって、羽仁五郎あるいは市川房枝さんというような先輩の皆さんが提案者になって議員立法で死刑制度廃止の法案を提出されている。
これを見て、有名な吉野源三郎という編集長がびっくりいたしまして、これはそのまま載せられない、どうかしなくちゃいかぬというので、友だちの歴史家の羽仁五郎さんに相談に行った。ところが羽仁さんは、こんなものを載せたら革命が起これはギロチンになっちゃう、やめておけと。
これは例の羽仁もと子という女性が大正デモクラシーの後、東北地方の女性の生活改善に入って、今で言うセツルメントの発展した形なのかもしれませんが、その雑誌の昨年の十一月号には、例の秋田県の大潟村の稲作農家の御婦人の米づくりについての懇談を載せております。
昭和四十八年十一月、三里塚闘争の戸村一作氏に連帯する会を結成いたしまして、羽仁五郎、荒畑寒村、小田実、水戸厳、それから松岡洋子、末川博、こういう方々、大阪にも府会議員になっておられる方でこの末川さんのまな弟子でベ平連の事務局長をされておられた方がおられます。昭和四十九年参議院全国区に立候補されました。この戸村一作でございますが、二十三万票で落選。その後パレスチナを訪問。
それから、私、ちょっと政府委員の人にお話ししておきましたけれども、羽仁五郎さんが参議院に出たときに、法務委員会でこの問題、詳細な質問をしていますね。私もあの質問を前に読みまして、非常に感心した質問ですが、そういうようなこともあるし、現行の制度の中でどういう点が問題になっているか。
これは羽仁五郎さんの議事録に、昔のローマ法か何かからずっとよくやっている、これはなかなかいい質問です。一遍読んでおいていただきたいと思います、別の機会に質問しますから。 それはそれとして、いま言ったようにだんだん——アメリカは特殊な事情ですよ。いわゆるノンホワイトがどんどん入ってくるという状況があって、アメリカの移民法の場合とかいろいろな場合、ちょっと違うんじゃないかと思いますがね。
そういうようなことで、これは参議院の法務委員会で戦後すぐに羽仁五郎さんが詳しい質問をしていますよ。いい質問があります。ぼくも読んだことがありますが……。
○稲葉(誠)委員 指紋の問題については、ずっと前に、いま言った外国人登録令が法になったころかな、参議院で羽仁五郎さんが非常に詳しい質問をしています。あれはなかなかいい質問だと思います。これは一体あらゆる人にやる必要があるのですか。これはアメリカ人にもやっているの。アメリカ人、女の人なんかにも全部指紋やらせていますか。そうですか。
羽仁五郎氏提唱の文部省廃止論などにも共鳴者がどんどん増えていくの ではないか。 こういう見方をしておるんですね。このことは単にこういうコラム欄だけじゃないんです。二十七日の投書欄にはまたこう書いてある。「派閥紛争が汚した文相人事 次代を担う青少年指導忘れて」と、こういう表現のもとに、六十八歳の無職の平井秀太郎さんが出している。
○鈴木美枝子君 河野委員はよく御存じの上でいまおっしゃっていると私は思いますけれども、このたび一部改正をするということの中で、先ほどから言われています昭和二十五年のこの文化財保護法、幾度も出てきました文化人山本勇造先生や、学者である羽仁五郎さん、それからいまおっしゃるように、国民を代表するところの議員、学者、加わってつくられた今日までの二十五年間の間の、経済成長だと言われた十年間の間に、どういうふうに
また、これはやはり革新系の方でありますが、羽仁五郎さんは新しい自治体都市東京ということで、羽仁五郎さんは都市問題の専門家でありますが、東京は自治体都市であるべきであるということを主張いたしまして、その自治体都市東京が、第一に、必要のないもの、二、害のあるもの、三、必要で害がなくとも、万一害が出たとき救済策のないものを移転するのは道理だという。
ところが、今月の十七日になりまして、羽仁五郎氏を先頭に五十四、五名の、これはおもに学者、文化人——政党人は入っておりませんが、訴追委員会に対しまして、裁判官訴追の申請書を出したわけなんです。その裁判官は横川敏雄裁判官、東京地方裁判所の代行判事。そこで、裁判官が訴追委員会の問題になるようなことが起こってまいりました。